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ガラテヤ人への手紙 6:14 - Japanese: 聖書 口語訳

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

そんなことを私は死んでも自慢したくない。 私に自慢できるのは、王なるイエス・救世主の十字架のみ。 この十字架のおかげで、人に認められようとする昔の自分は死んだ。 世の中の洗脳から解放されたのだ。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

この章を参照

リビングバイブル

しかし私は、主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものなど何もありません。十字架によって、私は、この世のものすべてに対して興味を失ってしまいました。この世も、私に対する興味をすっかり失ってしまったのです。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

そんなことを私は死んでも自慢したくない。私に自慢できるものは、王であるイエス・キリストの十字架のみだ。この十字架のおかげで世は私の前で死に、私は世の前で死んでいる。

この章を参照

聖書 口語訳

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

この章を参照



ガラテヤ人への手紙 6:14
37 相互参照  

彼らはおのが富をたのみ、 そのたからの多いのを誇る人々である。


力ある者よ、何ゆえあなたは 神を敬う人に与えた災について誇るのか。 あなたはひねもす人を滅ぼすことをたくらむ。


「人の子よ、ツロの君に言え、主なる神はこう言われる、 あなたは心に高ぶって言う、 『わたしは神である、 神々の座にすわって、海の中にいる』と。 しかし、あなたは自分を神のように賢いと思っても、 人であって、神ではない。


彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」。人々はこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。


わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。


断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。


わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。


しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、


だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。


なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。


だから、だれも人間を誇ってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。


しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。


キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。


しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。


わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。


生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。


では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。


キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。


わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。


神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。


もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、